国民健康保険組合の設立

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国民保険制度は、すでに昭和十三年四月に国民健康保険法が制定され、七月から実施されることになって、全国的に組合が組織されつつあった。そしてさらに第七九回帝国議会では同法が改正され、地方長官が強制的に組合の設立を命じるようになった。小浜村においても十八年十二月、県からの通達により、国民健康保険制度は、全国民の健康保持増進をなすべき総合的施策として、強兵健民育成の基盤をなすもので、戦力増強に対する重大な国策である、との考えのもとに、実施されることになった。
 そこで各部落発起人を通じて同意を依頼し、ほぼ所定の同意数に達した段階で、設立申請がなされた。組合員は小浜村に住む世帯主で、世帯主が組合員となれば、世帯主も家族もともに被保険者となる。被保険者になれば、病気や負傷のときは県内はもちろん、その他大阪・和歌山・京都・鳥取・岡山の各府県の医師に診療してもらうことができる。保険料は家屋税・村民税を基準に、組合員一人につき一カ年(一世帯当り平均)二〇円四三銭、被保険者一人につき四円六一銭(五人の場合)、五人以上の場合は割増料をとる、というものであった。
 県の意向は、高額負担者の加入が少なく、赤字となるのは必然であるので、認可と同時に強制加入にきりかえることができるとし、組合でも自発的な加入を勧めて、ここに国民健康保険制度が実施されたのである。