昭和二十年(一九四五)八月十四日、歴史的な終戦の詔勅が発せられ、それが十五日正午のラジオで全国に放送された。「時運ノ趨(おもむ)ク所、堪ヘ難キヲ堪ヘ、忍ヒ難キヲ忍ヒ、以テ万世ノ為ニ太平ヲ開カムト欲ス」、全国津々浦々に流されたこの玉音放送に、国民ははじめて日本の無条件降伏を知らされたのである。疲れきった面持で、しかしいまだかつて経験したことのないこの厳粛な事実に、人々はしばし茫然と立ちすくんだのである。
思いもかけなかった敗戦に直面した人々は、文字通り虚脱状態にあったといえよう。マッカーサー元帥の厚木飛行場到着、ミズリー艦上の降伏調印、占領政策の実施と、めまぐるしい変化のなかで、何も手につかない有様であった。しかしこれまで警報が鳴れば、燈火管制下の真暗な防空壕のなかで、敵の飛行機の爆音を聞きながら、じっと耐え忍んでいた生活からの解放は、あらためて生きる者の証(あか)しであった。「電燈がついた」ということばは、そのまま戦争から解放された国民の、いつわらぬ喜びにも通じていた。