マッカーサー元帥を総司令官とする連合軍総司令部(GHQ)が東京に設置され、日本占領行政の中心となった。そして占領軍は全国各地に進駐したが、当初の連合軍は主としてアメリカの第八軍と第六軍とであって、第八軍は東京に司令部をおいて主として東日本を、第六軍は京都に司令部をおいて西日本を、分担した。兵庫県に進駐した占領軍は、この第六軍第一軍団に属する第三三師団(司令部は神戸)で、第一軍団は沖縄の激戦をへた歴戦の米軍一二〇〇名からなり、九月二十五日早暁に和歌浦田辺港から上陸を開始し、戦闘体勢のまま第三三師団の一部は宝塚地区へ進駐してきた。そして宝塚歌劇場や東洋ベアリング製造株式会社武庫川工場へ六〇〇名ずつ駐屯した。
敗戦という一種虚脱状態のなかで迎えた進駐軍ではあったが、当初一般市民との間に生ずる摩擦が懸念されていた。しかしさしたる摩擦もなく、比較的円滑に迎え入れることができた。ジープに乗ってチューインガムをかんでいるアメリカ兵の姿は、当時街かどでみうけられた戦後の風景であった。