宝塚ゴルフ場の米軍接収

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戦時中海軍に接収されていた宝塚ゴルフ場も、二十年十月十二日に海軍との契約はいっさい解除されて、ゴルフ場はふたたび白紙にもどった。そこで十一月十六日の総会で、戦争中に改称された宝塚打球会は、もとの社団法人宝塚ゴルフ倶楽部の名称に復旧した。そして米軍の進駐とともに、進駐軍もプレーをおこない、日米親善プレーも開催されていた。
 しかし翌二十一年二月十五日付で、全コース・建物施設いっさいが進駐軍第二五師団に接収されて、米軍の管理のもとにはいった。同時に倶楽部はすべての運営権を失い、その運営にあたっては大阪特別調達局または兵庫県渉外事務局を通じて折衝しなければならなかった。予算の要求書類も、米軍の指示通り提出され、コース内の色彩なども米軍色に塗りつぶされていった。戦時中の海軍接収につづいてゴルフ倶楽部の受難時代であった。ただ日本人ゴルファーも一日会員二〇名前後に限りプレーが許されていたことが、せめてもの幸いであった。そして二十四年ごろには、日本人ゴルファーのプレーに対しても漸次寛大となり、同年十二月十四日には使用料として年五〇万円を米軍に支払う条件で、毎週火木の二回に限り、五〇名を越えない限度で、終日プレーすることが許されるようになった。

写真228 宝塚ゴルフ進駐軍雇用クラブ従業員のカード
『宝塚ゴルフ倶楽部40年史』より


写真229 宝塚ゴルフ倶楽部日米懇親の家族会
『宝塚ゴルフ倶楽部40年史』より