阪神競馬場の用地問題解決

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国営レーストラック建設案は阻止できたが、二十九年になってまた新しい転機にたたされた。それは国営競馬場の運営が、同年九月で打切りとなり、法人「中央競馬会」の発足により、競馬用地の実権が中央競馬会阪神競馬場に引き継がれたのである。三十年十二月に中央競馬会はゴルフコース一〇万坪と、京阪神競馬株式会社の所有する仁川競馬場との交換を条件に、ゴルフコースの所有権を競馬会社の手に委ねた。これによって競馬会社は三十一年一月に京阪神不動産会社と社名を変更し、倶楽部側とゴルフ場の用地売却の交渉をすることになった。そこで会社側はあらためてゴルフコースとそれに接続する丘陵地を含めて、二五万四〇〇〇坪の用地売買交渉を始めた。折衝の結果、二億八〇〇〇万円で買収契約が成立し、倶楽部側は保証金を入れて契約に調印、向こう一〇年間で償還することになり、三十九年には全額を完済した。
 これによって鳴尾競馬場の海軍接収によって生じた宝塚ゴルフ場の競馬場化への問題も、ここにようやく解決され、その後宝塚ゴルフ場はコースを拡大して今日にいたっているのである。