宝塚新芸劇場

445 ~ 446 / 620ページ
昭和二十五年十一月には、秋田実を中心として、その門下漫才陣により宝塚新芸道場が新設され、宝塚第二劇場(現在のパラダイスホール)を本拠にして、爆笑喜劇を公演した。これは大劇場の開演前に、入園客に見せようとの配慮から入場無料とした。
 二十六年十一月の結成一周年にあたり、公演場も宝塚映画劇場(元宝塚中劇場)に移し、劇団名称も宝塚新芸座となり、舞台のスケールもいちだんと大きくなった。
 二十八年一月には夢路いとし・喜味こいし、秋田Aスケ・Bスケ、ミスワカサ・島ひろしの漫才陣を中心に新しい様式のコメデー「漫才学校」が登場し、ここに劇場名も宝塚新芸劇場と改称され、人気を博した。
 なおこの漫才学校は当時誕生した民放ラジオ朝日放送によって毎週連続放送され、当時の聴取率のトップを占め、長期にわたり好評を続けた。