終戦直後の農業立国論

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ポツダム宣言の受諾によって日本は完全に敗れ、なすすべを失った国民は虚脱と混乱に陥っていた。しかしそのなかで、人々は、いかに生きるのかその方法を無我夢中に手さぐりはじめた。政治の世界においても同様であったが、当面の政策の方向を暗中に模索して、手がかりをつかんだところで、壁に突きあたった。それを排除し、民主化への明るい道を開いたのは連合軍であった。農地改革の第一次から第二次にいたる経緯は、このことを最もよく示している。
 昭和二十年(一九四五)八月二十八日、それは戦いに敗れて十数日後のことであった。全国農業会長会議が開かれ、農業立国論を内容とする新農業政策綱領が決議された。すなわち、農地の適正規模専業農家の育成強化のためには、耕地の適正な配分を断行することが必要であり、この目的を達成するため土地の交換分合と耕地整理事業の大規模な実施を促進し、集団農地化の実行を期する、というものであった。しかしここでは、寄生地主的土地所有の改革には、まったくふれていなかった。