東久邇内閣のあとをうけて、十月九日成立した幣原内閣の農林大臣松村謙三は、土地の問題は自作農を広くつくることであり、農業会なども戦時の官製的なものから農民の手に返すべきものであろうと語り、農政が単に食糧政策だけでなく、土地政策を含むことを明らかにした。つづいて十三日、早くも農林省農政局は、小作料の金納化・市町村農地委員会の民主的改組・自作農の創設を内容とする改革原案を作成した。
ちょうどそのころ連合国最高司令官総司令部(「GHQ」以下総司令部という)は日本政府に対し、婦人の解放・労働組合の助長・学校教育の自由主義化、民衆生活を恐怖に陥れるような制度の廃止、日本経済機構の民主化という人権確保の五大改革を指示したが、農地改革がこれに含まれているかどうかは、まだ明確ではなかった。