同年十一月十二日に至り、総司令部は政府に対し、農地改革を指令するような暗示を与えた。十六日には、第一次農地改革案要綱が閣議に提出されたが、この要綱は「農業停滞ノ要因タリシ農地制度ヲ根本的ニ改革セントス」として、地主的土地所有の改革を基本としたのである。
しかしこの要綱がつくられる過程で、松村農相と事務局との間に意見の相違があったといわれる。農相は第一に、自作農の創設を基本とし、小作料の金納化には消極的であったが、事務局は小作料金納こそ中心課題であると考えた。第二に、在村地主の小作地保有面積を一町五反とするきびしい考え方であったが、事務当局はその実現性の乏しいことを説き、保有限度を三町歩とした。松村農相はこれを調整して、政府の自主的農地改革案要綱とした。十一月二十二日に二点の修正とさらに二点を追加して、閣議決定となり、翌日新聞に発表された。この要綱が、はじめの要綱と異なる最も重要な点は、保有限度が三町歩から五町歩に引きあげられたことによって、強制譲渡の対象となる小作地が一三〇万町歩から九〇万町歩に、在村地主の数は一〇〇万戸から一〇万戸に減少したことである。