しかし法案の内容が、土地所有という従来侵すことのできなかった財産権を、多くの土地所有者から強制的に移動させることであり、また耕作権の強化が規定されるものであるから、農相の開明的な保守主義農政も議会の支持をうけず、審議未了になるおそれがあった。ところがその法案審議の最中十二月九日、総司令部は「農地改革に関する件」という覚書を発した。
それは、日本の農民を経済的に束縛してきた農業上の各種の害悪を破壊根絶し、耕作農民がその労働の成果を享受することができる農地改革計画と、社会に対する農業の貢献にふさわしい国民所得を、農業に対して保証するために必要と認めるその他の計画とを、昭和二十一年三月十五日までに総司令部に提出するように命じたものであった。この覚書によって議会の審議が促進され、十二月十五日衆議院を、十八日貴族院を通過し、二十八日公布、翌二十一年二月一日施行されることとなった。