昭和二十年十二月九日の覚書は、第一次改革法案の国会審議中に出されたので、法案の内容が総司令部によって認められ、支援されているものと、政府は考えていた。ところが、同年十二月中旬の農林省との会議で総司令部の担当官は、第一次改革案が指令にしたがった内容のものではないことを指摘した。
また総司令部係官がある村の実地調査をおこなったところ、在村地主の土地所有面積がいずれも保有限度以内で、その所有地の小作人には解放される者が一人もいないということがわかり、第一次改革法がまったくふじゅうぶんなものであることが明らかになった。二十一年三月には担当官ラデジンスキー少佐が新聞記者会見において、第一次改革法によると全国の半分以上の小作地が依然として残り、また改革が地方団体によっておこなわれるため、地主側の意向によって改革の真の意義が失われるおそれがある、と批判し、総司令部の態度を明らかにした。