対日理事会の検討と「勧告」

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さきの覚書によって、政府は農地改革案その他を総司令部に提出することを命じられていたので、二十一年三月十五日に、第一次改革案と将来の法改正を暗示する内容の回答をした。しかし総司令部の態度はきびしく、それを承認しなかった。そして農林省当局に主要な問題点を示した。
 またそのころ、農地改革は国際的に問題となっていたので、連合国軍総司令官マッカーサーは対日理事会(昭和二十年十二月総司令官の諮問機関として、極東委員会とともに設置された日本管理機構の一)にこの問題の検討を付託した。対日理事会では、ソ連邦案・英国案・中国修正案が提出されたが、中ソ両国代表がその概要をほぼ支持した英国案を中心にまとめて、総司令部案の骨子とした。
 英国案の一〇カ条のうち特徴的な点は、(一)不耕作地主の小作地保有限度が平均一町歩であること (二)土地所有の限度は内地平均三町歩、北海道一二町歩 (三)小作人の土地買入限度は一町歩であり、平均一町歩あれば一家を養うに足り、買入を一町歩に制限すれば最大多数の小作人が土地購入の機会を与えられる、等の点であった。
 二十一年六月十七日の対日理事会ではアメリカとソ連との意見の対立があったが、右の総司令部案の骨子ができあがり、それを農林省に内示した。農林省はそれについて約一〇項目の要望をだし、それによって修正された内容が、六月下旬日本政府に対して「勧告」された。