これをうけて七月二十六日、時の第一次吉田内閣の農相和田博雄のもとでつくられた「農地制度改革の徹底に関する措置要綱」が閣議の決定をみた。八月六日には第二次改革法である「自作農創設特別措置法案」と「農地調整法改正法律案」が閣議で決定され、総司令部の要望により、その一部を改めて、八月十二日新聞に発表した。
両法案は九月七日第九〇議会に提出され、与野党それぞれの立場からはげしく議論されたが、結局無修正で衆議院を十月五日に通過、十月十一日には貴族院を通過、成立した。このときマッカーサーは、農地改革は民主的な社会を生みだしつつある日本が、これまで到達した里程表のうち最も重要なもののひとつで、日本農民は自分たちが長く待望した人権宣言をこの改革法のなかに見いだすであろう。健全穏健な民主々義を打ちたてるためには、これより確実な根拠はあり得ず、また過激な思想の圧力に対抗するためにはこれより確実な防衛はあり得ない、と声明した。
こうして農地調整法、同施行令および施行規則は二十一年十一月二十二日に、自作農創設特別措置法、同施行令および施行規則は十二月二十九日にそれぞれ施行された。また翌二十二年一月十四日には「農地調査規則」が公布、施行され、二十二年二月に都道府県農地委員の選挙がおこなわれることになった。しかし第二次改革二法はその後、二十二年の第一回国会、二十三年の第二・第三国会で修正が加えられた。