農地委員の選挙と行政の機構

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昭和二十一年十二月二十三日、兵庫県下いっせいに第一次市町村農地委員の選挙がおこなわれた。昭和十三年(一九三八)以来の農地委員は、市町村長の内申にもとづき地方長官(知事)により選任されていたが、第一次改革では地主・自作・小作各階層から五名ずつを選ぶことになった。しかしそれでは小作側の発言が弱められるので、第二次改革では小作階層五名、地主階層三名、自作階層二名の委員を選出することになった。これらの委員によって構成される市町村農地委員会が、農地の買収、売渡等の実施機関となり、まず農地の一筆調査から始め、自作農創設の仕事を進めたのであった。
 第二次市町村農地委員選挙は二十四年八月十八日におこなわれた。このときはすでに、地主・小作の実情が変わっていたので、階層区分を変え、二反歩を越える小作地を借入れて耕作する小作階層を一号階層、二反歩を越える小作地を貸付けている地主階層を二号階層、それ以外の耕作者または農地の所有者を自作階層=三号階層とし、それぞれから二名・二名・六名計一〇名を選挙した。こうして選出された委員が構成する委員会は、第一期の自作農創設を徹底させ、創設自作農の転落防止、小作地の耕作権保護、小作関係の近代化、農業生産力の向上、農業経営の合理化、土地改良、農地の交換分合などを推進した。
 第一次兵庫県農地委員の選挙は、昭和二十二年二月二十八日、県下を二選挙区に分けておこなわれた。武庫郡・川辺郡は第一選挙区に含まれた。良元村は第二投票分会に属し西宮市役所で投票、西谷村は第九投票分会・中谷村役場、小浜・長尾両村は第十投票分会・川西町役場でそれぞれ投票した。
 第二次県農地委員の選挙は二十四年九月二十日、武庫郡一円は第三投票区に属して西宮市役所、川辺郡一円は第四投票区に含まれて川西町役場が投票場となった。
 県農地委員会の処理する事項は、(一)市町村農地委員会の処理事項のうち法定事項の承認および訴願の裁決、(二)知事の諮問機関としての意見具申、(三)未墾地買収計画の作成が主なものであった。
 良元村小林の田中九右衛門は第一選挙区から、第一次・第二次選挙とも二号階層委員として選出された。昭和二十六年四月一日からは、従来の農地委員会・農業調整委員会・農業改良委員会を統合して、あらたに農業委員会が都道府県と市町村に設置されることになった。県農業委員会は被選挙委員一五名と知事が選任する五名以内の委員で構成された。田中九右衛門は選任委員として選ばれた。
 農地改革は耕作農民が自主的に自らのため遂行することが理想であったが、しかし急速かつ完全におこなうためには行政の強力な指導が必要であった。そのため農政局に農地部がおかれ、兵庫県では二十一年十一月十六日に農地課・開拓課・耕地課の三課で農地部が設けられた。これらの機関は政策浸透や事業の促進・事務処理および情報収集のため各地で会議を開いたが、二十二年九月十一日から十三日まで宝塚阪急農場において、二十三年九月二十一、二の両日は良元村役場会議室で開かれた。