開拓地の入植

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昭和二十三年五月十九日付の農林次官通達により、「科学的基礎の上に」県で開拓計画を樹立することになったが、兵庫県では四三地区の計画が立てられた。二十六年度西谷村境野の一一町歩はその一つである。
 終戦直後は、戦災者・復員者・外地引揚者が続々と開拓地に入ってきた。当時は入植者の選定基準もなく仮入植として認められたが、なかには熱意に欠けるものもあり、県では二十二年十一月四日開拓地入植者並びに開拓組合取扱要領を定めて、自作農の育成をはかることとした。
 二十三年四月十九日農林省開拓局長より入植者並びに増反者の選考に関する通達があり、それによってさきの要領は改正され、さらに五月十五日に要綱をつくり、入植者および増反者の再確認をおこなった。
 開拓地の売渡しは、当初は開発が終わり、経営が安定してからおこなう方針であったが、総司令部から未墾地のままで早急に売渡すようにとの強い要請があり、二十三年五月十九日付で開拓財産たる土地の処分要領がだされた。
 県では終戦後早期に開墾を始めた旧軍用地の売渡から始めた。表95は市域関係分をまとめたものである。
 

表95 開拓財産土地売渡実績表

売渡期日地区名所在地土地区分対価戸数
農地となるべき土地附帯地合計入植増反
昭和24.2.1大阪陸軍獣医資材支廠長尾分廠川辺郡長尾村158.204158.20476,195.262828
  25.2.1同上同上41014.30214.7124,553.9633
   〃長谷川辺郡西谷村58.51658.51612,374.431414
  26.2.1大阪陸軍獣医資材支廠長尾分廠川辺郡長尾村21.92621.9269,267.394949
  27.3.1境野川辺郡西谷村41.50641.5068,968.711717

『兵庫県農地改革史』による