さて、土地を利用して作る作物としては、二十五年は戦後の食糧事情も反映して、水稲・小麦・裸麦・甘藷・馬鈴薯・大豆・野菜類など、戦前と同様のものが生産されていた。しかし、昭和三十五年までの間に、かなりの変化をみるようになった。すなわち、水稲は長尾地区を除いて、全般的にその収穫面積が増大し、とりわけ西谷地区の場合はいちじるしい増加である。そしてそれとは反対に、小麦・裸麦・甘藷・馬鈴薯・大豆・なす・トマト・きゅうり・だいこんなどの減少がいちじるしい。これらの作物に代わるものとして、良元・小浜両地区では水稲の収穫面積の増加を基本としながら、それにプラスいちごの露地栽培がさかんとなる。長尾地区では水稲をへらし、その土地で花木と造林用苗木、種苗栽培が急速に成長した。また西谷地区でも、九五町七反という水稲収穫面積の増大を基調として、ももの栽培戸数と成園面積が伸びている。くりはほぼ従来のままであった。極めて少数だが、椎たけやマッシュルーム生産農家があらたに芽生えた。