経営耕地規模別農家数

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このような家族で経営する農家の耕地規模を、(イ)三〇a(アール)未満、(ロ)五〇a以下、(ハ)七〇a以下、(ニ)一ha(ヘクタール)以下、(ホ)一五ha以下、(ヘ)二ha以下、(ト)二・五ha以下、(チ)三ha以下、(リ)五ha以下、(ヌ)五ha以上の各層にわけてみる。昭和三十五年(括弧内は四十年―四十五年)の西谷地区の戸数は、(イ)八四(七一―五四)、(ロ)九一(七九―七八)、(ハ)一二四(一〇〇―八一)、(ニ)一五六(一四三―一三〇)、(ホ)五六(九一―九二)、(ヘ)七(一六―二二)、(ト)一(五―八)、(チ)〇(〇―四)、(リ)〇(一―三)、(ヌ)〇(〇―二)であった。小浜では(イ)二〇四(一九四―一六二)、(ロ)一三九(九八―六九)、(ハ)七八(四三―二八)、(ニ)四八(二九―二七)、(ホ)二一(一〇―七)、(ヘ)三(三―三)であり、良元では(イ)二二七(二三〇―二一二)、(ロ)一一三(一〇六―七一)、(ハ)四八(三四―一二)、(ニ)一六(六―二)、(ホ)三(二―一)、長尾では(イ)一三一(一四五―一三四)、(ロ)一一七(一一五―一〇二)、(ハ)七五(六九―六一)、(ニ)六〇(五九―四九)、(ホ)二六(一九―二六)、(ヘ)七(四―六)、(ト)二(一―〇)、(チ)三(〇―〇)、(リ)〇(〇―一)と増減した。四十年以降、西谷・長尾はそれぞれ(ハ)・(ニ)層を中心として両極に分解していることが注目される。三十五年の各地区の各層別農家比率を図16に示した(比率一六%ならば、その1/2の八を原点の左右に等しくとった)。各地区の型の相違があきらかである。

図16 経営耕地規模別農家構成