兼業の種類

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農家が兼業化してゆくとき、兼業に従事する人はどのような仕事をするようになったかを、昭和三十五年現在でみることにしよう。
 宝塚市全体でみると、恒常的賃労働勤務者(常勤的な主に肉体的労働・単純作業的労働に従事する者)が三八・〇%で最も多く、ついで恒常的職員勤務者(常勤的な主に事務的・管理的ないし専門技術的な仕事に従事する者)二五・三%、人夫・日雇(通勤で臨時的に雇われる肉体的労働者)が二一・六%、自営兼業従事者一三・六%、出稼ぎ(通勤できないため自宅以外の場所に寝泊りし、臨時的に雇われて働くことで、期間の長短は問わない)は僅かに〇・七%である。
 恒常的賃労働勤務者の勤務先のうち、最も多いのは製造業で四四・五%、分類不能の産業一八・九%、運輸通信業一一・九%、サービス業八・五%、卸売小売業七・〇%、建設業三・八%、公務二・八%、電気ガス水道業、金融保険不動産業それぞれ〇・八%、鉱業、農業それぞれ〇・五%である。
 恒常的職員勤務者の勤務先は、サービス業二一・九%、製造業二〇・六%、公務二〇・四%、運輸通信業一一・二%、卸売小売業一〇・一%、金融保険不動産業六・八%、建設業三・一%、電気ガス水道業二・八%、分類不能のもの二・四%、農業〇・七%である。
 昭和三十五年における自営兼業者は三二一人であった。
 さて、兼業種類のその後の変化をみると、宝塚市全体では、昭和四十年に恒常的賃労働勤務者が約一七%減少し、他の種類は増加している。四十五年にはすべての種類の兼業従事者の実数が減少したが、構成比では出稼ぎと自営兼業従事者がわずかに減少した以外は微増している。しかし地区別にみると、良元・小浜地区の自営兼業者は増加し、その他の種類が減少しており、とりわけ恒常的職員勤務者の減少と良元地区の出稼ぎおよび小浜地区の人夫日雇の減少がいちじるしい。長尾および西谷地区では自営兼業者が減少しており、とくに長尾地区での減少がめだつ。西谷地区では恒常的職員勤務者と恒常的賃労働勤務者の増大がみられ、とりわけ前者のいちじるしい増加が特徴的である。
 これらの諸傾向から判断すれば、良元・小浜地区ではいわゆる都市化への推移のなかで、四十年ごろは会社などへ勤める人が増加したが、四十五年には会社勤めよりもむしろ自営業に従事するようになった。長尾地区では、一方において脱農化しながら他方では前述のように、農業専業化の方向がみられることは注意すべき現象である。西谷地区は四十五年現在、小浜地区の歩んだ方向をとるか、あるいは長尾地区のたどった方向へ進むのか、その選択を迫られているといえよう。