教育財政の貧困

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さて、国の再建の根本は教育の刷新にあるとはいえ、国破れて山河あり、焼野原になって国民学校すら満足な校舎は少なかった上に、失業者は増大し、食糧は不足し、インフレは悪性化しており、財政も窮乏したなかで、義務教育年限を一挙に五〇%延長することは困難なことであった。財政上の理由で、新制中学校を設けることは無理だという声は大きかった。
 教育刷新委員会は、教育財政に関しつぎのように参考意見を述べている。地方教育費に必要な金額に関しては、府県・市町村の一般財政に計上する権限を地方教育委員会に与えること、義務教育費は地方負担を原則とするが、しかし当分の間は大幅な国庫負担をおこなうこと、地方教育費のため適当な租税種目を国は地方に委譲すること、国と地方公共団体は教育費に充当する基本財産を確保すること、などの諸点である。
 昭和二十二年三月二十五日教育基本法は、第九二帝国議会を通過し、学校教育法は二十七日に通過、三月三十一日公布施行され、国民学校令などは廃止された。四月一日には新学制による小学校、新制中学校が発足することになった。
 ところで、六・三制実施について法案は成立したが、実施に関する財政的裏づけは、まことに貧しいものであった。学校教育法案を審議した椎熊三郎委員長はつぎのように報告している。審議過程においてつぎのような質疑があった。六・三制を実施するとして、ことに国民学校の児童に対する設備や学用品・教科書などについてみると、はなはだ心もとないものがあるが、文部当局はこれらについてどのような施策を考えているかという質問である。日高学校教育局長は、つぎのように答えた。戦争を放棄した日本は文化国家建設のために教育の徹底的な改革がなされなげればならない。次代の日本を背負うべき青少年に対する期待は絶大である。しかるにこの子等に対して教科書も与えることができない状況はまことに遺憾であると。そしてこの答弁途中において、「局長はことばがつまり、涙滂沱(ぼうだ)として下り、遂に発言する能はず、最後には声をあげて泣きました。……委員会は、そのため約五分間一言も発する者もなく、寂として声なき状況でありました」と。
 戦災により破壊された学校の復旧すらできない時に、六・三制を実施するには、政府による大幅の財政援助が必要だとする声が大きかった。政府は一四億円の補正予算を組むことにしたが、二十二年九月のキャスリン台風の被害がでたことによって七億円にまで減じてしまった。教育刷新委員会は十一月二十一日に総会を開いて、追加予算額九百数十億円のうち六・三制実施のための建築費が僅か七億円では最低の要求額の半ばでしかなく、政府の予算編成方針における教育への関心が薄いことを指摘し、最低要求額をすみやかに実施するよう「六・三義務教育完成実施について」の建議を内閣総理大臣に提出するということもあった。