良元村の中学校

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良元村立宝塚第一中学校は、藤川俊次が初代校長となり、昭和二十二年四月二十日に発足したが、入学式は四月二十二日、良元小学校講堂において友金宗太郎村長出席のもとにおこなわれた。良元小学校の校舎および校地の一部を借用しての開校であった。すなわち、講堂階下教室を校長室・職員室・三年生教室に、南校舎を一年生および二年生教室と裁縫室にあてた。
 小浜村の宝塚中学校と同様、机もなかったのであろうか、五月二十六日に宝塚第一中学校建築委員会が開催され校地の選定ならびに生徒用机腰掛の整備に努めることを協議している。五月三十日には良元小学校講堂で開校式が挙行された。
 

表100 昭和22年4月22日良元村立宝塚第一中学校入学生徒数

学年学級数生徒数
1年49370163
2年2373774
3年1167
7131113244

「宝塚第一中学校沿革史」より


 
 昭和二十四年四月二十一日、良元村小林字梅圃の地を新校舎建築予定地として地鎮祭を挙行した。五月九日の良元村会で、この地を宝塚第一中学校建築用地として、八馬兼介および同啓ならびに多聞土地合資会社より寄附の願出があり、これを採納することにし、同時にここに中学校校舎を建築することを決定した。ところが、同年十月十日にいたり、この地を高等学校用地に指定し、同月十八日に第一中学校建築地を川西航空機株式会社所有の良元村小林字西山の山林に変更することになり、十一月八日この地で新校舎起工式を挙行した。翌二十五年三月竣工し、四月五日二、三学年だけが移転した。第二期工事は十月二十日着工し、二十六年二月八日竣工し、三月二十三日第一学年が新校舎に入った。二十七年十二月十五日第三期工事に着工し、二十八年五月二十日竣工した。昭和二十九年四月一日宝塚市立宝塚第一中学校となり、三十年四月十九日に着工し、十一月二日に完工となった。
 長尾村・西谷村の中学校も、ほぼ同様な経過をたどったが、新制中学校の設立は、敗戦直後の当時の村々にとっては、容易ならぬことであったのである。

写真248 宝塚第一中学校旧校舎
(市立宝塚第一中学校提供)