農地改革による変化

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戦後における長谷むらの「定め」については後にふれることにして、まず農地改革による土地所有の変化をみよう。改革直前のこのむらの耕地四二町四反三畝一歩(一反は約一〇アール、一歩は約三・三平方メートル)のうち、自作地は二九町五反八畝三歩(六九・七%)、小作地は一二町八反二畝一〇歩(三〇・三%)であった。小作地のうちその一九%にあたる二町五段一畝一三歩は、講その他の複数所有者の貸付地であり、八一%一〇町三反一五歩は個人地主の貸付地であった。また、そのうちの四〇・九%四丁二反三畝はむらの外(そと)の地主の所有地であり、むらの内(うち)の地主の所有地は六町一反余五九・一%であった。改革前の自小作別農家数は、小作六戸、小自作六戸、自小作九戸、自作一二戸、貸付地を有する自作地主一五戸であった。なおこのむらには昭和十六年(一九四一)現在で貸付地一町歩以上の地主は一戸も存在しなかった。改革によって解放せられたのは、講その他の所有地二町五反一畝一三歩と、個人地主所有地のうち六町二反二八歩、合計八町七反二畝一一歩であり、その結果自作地が約三八町三反(九〇・三%)、小作地が四町余(九・七%)となった。

写真251 旭国際ゴルフ場上空から長谷・大原野をみる


 このむらの自小作別・経営耕作地面積広狭別農家数を昭和三十一年八月現在でみると表101のとおりである。四八戸のうち自作農と自小作農は三六戸で、七五%を占める。経営耕地面積広狭別農家数では、七~一〇反層が一五戸、三一・三%で最も多い。ついで五~七反層一二戸、二五%、一〇~一五反層一一戸二二・九%の順である。なお、五~七反層には戦後入植者三戸があり、これを計算に入れるとこの層は七~一〇反層と同じく二九%となり、五反から一町歩までの農家数は全体の五八・八%となる。
 

表101 長谷むら自小作別・経営耕地面積広狭別農家数

1~33~55~77~1010~1515~2020~25
小作31116(12.5)
小自作2316(12.5)
自小作562114(29.2)
自作24573122(45.8)
32(3)+1215114148+(3)
6.34.125.031.322.98.32.1100.0(100.0)
経営耕地面積の増減
昭和21年11月増加18127331
減少132118
昭和26年3月不変1211319
昭和26年3月増加11256318
減少21101041129
昭和31年8月不変11

〔注〕(3)は外来者で戦後入植者であり、ここではいちおう( )に入れておく