さまざまの社会関係と集団

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農地改革以前のむらの生活は、地主・小作関係によって秩序づけられていたが、また別の社会関係もからみあっていた。そのひとつは本家・分家関係であり、本家は分家を庇護し、分家は本家に奉仕する関係であるが、古い時代に成立した本分家間ではこのような関係は早く消滅し、相互扶助の関係になっていた。また兄弟の家や嫁の実家との相互扶助がこれに代わることにもなった。同時に住居が近接していることが日常の生活の助けあいに大きな意味をもつようになってきた。むらにはこのような古い、また新しいさまざまの関係が重なりあって、それぞれの関係にふさわしい相互の助けあいがおこなわれていたのである。改革によって、地主・小作関係は解消したが、その他の関係は変わるはずのないものである。その後、農家が経済的に自立の程度を高めてきたので、それだけ助けあいにも変化が生じた。

表106 長谷むらの農家の系譜関係および所属墓講・居住区


 むらの生活はまた、むらに永く住み、むらに生まれた人々が農業という生業を営む家々の協同の生活でもあった。それぞれの家の生活は家族員の協同の生活であったが、それは家長によって統率された生活であった。戦後新民法が成立して法律上は家制度がなくなり、家族生活の実態も徐々に変わってきたのであるが、しかしなお昭和三十年代前半までは、夫婦家族を一世帯とする世帯単位の生活よりも、親・子二世代もしくは三世代の直系家族を内容とする事実上の家を単位とした生活であった。むらにおけるこのような家々の協同の集団には、むらのなかの部分的集団として同じ種類のものが幾つもある場合と、むら全体がひとつの集団になっている場合とがある。