まず家の系譜を同じくし同一の先祖をもつと信じている家々が、「いっとううち」もしくは「かぶうち」を構成している場合を、西谷地区下佐曽利むらでみることにしよう(図17)。下佐曽利は戸数三四戸のむらであるが、そのうち四戸は「いっとううち」、一一戸は「かぶうち」とよぶ本家・分家関係の家々の集団であり、墓地を共同にしており、またそれぞれ地神をまつっている。このむらにはその領内に一一カ所の墓地があるが、そのうち現在このむらの家々に関係のあるのは九カ所で、いま使用されているのは七カ所である。それぞれの墓地に関係のある家々が七つの墓同行(はかどうぎょう)を構成している。
墓講の機能は平素においては、墓地の管理であり、葬式の場合は墓穴掘りと棺の埋葬およびその仕事をする人々のために風呂をわかしたり、食事の用意をすることである。この墓同行は、本家・分家の同族的集団で構成されているが、墓地のないものが、その集団の同意を得て構成員となっている場合もある。葬式に会葬する人々の世話は、その居住区と隣りの居住区の人々がすることになっている。野辺送りの葬列は、故人に近い親類の人によって構成されるが、先頭の松明(たいまつ)は本家が、本家の葬式の時は第一分家が持ち、つぎに並ぶ四本旗は墓同行の人が持つきまりである。七つの墓同行のうち三つは、二戸ないし三戸の本分家のみで構成され、他の四つは本分家と近隣の家一戸ずつを加えている。そのうちのひとつは、四戸の「いっとううち」と非血縁分家一戸を中心とし、いまひとつは一一戸の「かぶうち」を中心とするものである。墓同行に加わっていない家が二戸あるが、一戸は上佐曽利に本家を有するもの、他の一戸は一時的な借家住まいの人であった。