生産と生活におけるむら定め

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ひとつのむらに住む人々がおたがいに助けあい、協力して生産に従事し、作ったものを消費したり売ったりして、さまざまな文化を創りだしてきた。これがむらの生活というものであろう。個々の農家が経済的に自立の程度を高めてくるようになれば、それぞれの家が独立の活動をおこなうことが多くなり、さらにまた社会的分業が進み、就業の機会と種類とが多くなるという状況を背景として、個人が独立して生活しうる条件が整えば、個人の行動は自主的、自立的になってくるのである。歴史的な歩みは、このような方向に進んできたし、いまはまたその速度がはやくなっている。とくに昭和三十五年以降についてみると、家族員がすべて職業をもつようになって、それぞれ自主的・自立的に行動するようになり、家族員の行動はばらばらになって、「いえ」は事実上崩れる段階にきた。
 しかしながら、それらの家々がなおひとつのむらに住み、むらの共有地を持ち、そこで水田農業をつづけている以上は、その生産や生活のための諸条件に制約されて、生産は依然として農家単位であり、農家の自由な活動は制約されているのである。その制約は伝統的な習慣やしきたりだけでなく、今日の生産や生活がなお必要としているものもあるのである。農家の耕地が家の付近に集中するのでなく、あちらこちらの池がかり田や溝がかり田という水田の団地に分散して存在するときは、第一にそれぞれの水田団地は水利を共同にするものであるから、用水を引いたり、悪水を排したりする仕事や農作業は、それぞれの団地を耕す数戸もしくは十数戸の人々の協力によらなければならないし、またそれらの人々の相談の結果の約束ごとを守らなければ、生産は円滑におこなわれない。第二に、それぞれの家の水田はあちらこちらの団地に散在するのであるから、それぞれの水田団地の約束ごとはすべて守らなければならない。水量があまり豊かでないところでは、耕地整理をして水利の構造を変え、水田の交換分合をするのでなければ、このような状態はなくならないであろう。
 日常の生活のうえで、隣り近所の相互の助けあいが必要なところでは、困るときはおたがいさまという、むらの人々の無限の親切を、どこかに限界をおくようにきめておくことが、かつては必要であった。
 また、散在する田や畑に通ったり、親類や隣り近所を訪れるときに歩く道、あるいは山仕事に行ったり、むらの外へでかけるときに通る道は、むらの人々の共同の道であって、それを維持するためには道普請(ふしん)というむらぐるみの共同作業や、共同の負担によらなければならない。そのためには道路維持規約というむらの定めが必要であった。

写真261 長谷むらの道普請