北摂都市建設の計画

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このような情勢のなかで、昭和二十三年に「北摂都市建設問題が起き、小浜村は長尾村に対すると同様良元村に対しても昭和二十四年三月十八日、村会の意向を以て村当事者が同村を訪問し合併を申入れた」と、小浜村の「町制施行に至るまでの経過」は述べているが、右の北摂都市建設計画とはどのようなものであったのだろうか。
 昭和二十四年一月三十一日付の「北摂都市建設の計画について 川西町・小浜村」によれば、新市は川西・長尾・小浜・良元が解消して平等の立場において新時代にふさわしい文化的理想都市を住民の総意によって民主的に建設しようとするものであり、この計画の主唱者は川西町・小浜村である。また、同じく二十四年一月付の「北摂都市建設に就て村民の皆様に告ぐ」というリーフレットは、北摂都市建設期成委員会が頒布したものであり、これにはつぎのように記している。
 財政について、(一) 財源は一般税収の外に宝塚大劇場および新設される競馬場等の入場税があり、財源としては頗る豊富である。(二) 山根各町村には債務がない。(三) 市民の負担は軽くなる。すなわち新都市を建設すれば、小浜における入場税が年収約五〇〇〇万円、良元村における競馬場入場税が年収三〇〇〇万円、ほかに川西においても若干の入場税の財源があり、これを四カ町村合併人口七万人に割ると一人当り約一一五〇円となる。市民負担は軽減し、しかも財政的に余裕のある都市となるに相違ないと。