このような構想をもって、川西町と小浜村は、昭和二十三年十二月十七日長尾村に対し合併の申入れをおこなった。二十四年一月十八日、長尾村各部落役員は長尾村長に対し、山根三町村あるいは良元村を含む四町村合併の「要望書」を提出した。署名するもの、山本では一八名、口谷一〇名、平井一六名、中山寺八名、丸橋一四名の六六名であった。一月十九日には、長尾村内中山寺成就院において北摂都市建設計画の説明会が開かれた。
しかしまた、長尾村のうちの荒牧・鴻池・西池・桑田・荻野・丸橋・口谷・大野・の八部落代表が、長尾村長今里浅太郎に伊丹町への合併要望書を提出していた。村当局は伊丹市への合併に傾いていた。
伊丹市側では、二十四年一月伊丹市合併促進同志会・伊丹市長・同市会正副議長名入りの、「長尾村民各位に告ぐ」というリーフレットを配布した。これにはつぎのように記されている。
数日前、北摂都市建設期成委員会という仮空的な責任なき名称の下に出したパンフレットは、根拠のない夢物語りである。小浜村の入場税は過大見積りであり、また本年四月以降必ず行われる税制改革で真夏の夜のはかない夢となるだろう。競馬は戦災都市以外は絶対に主催できないので、良元村の競馬も期待できない。伊丹市は非戦災都市であり、市民個人の税負担は、全国的に最低位にあり、長尾・小浜・川西・良元と比較しても最も低い。伊丹市の諸施設はすでに完備しているので、合併後の諸施設は長尾村に集中することができる、と。