良元村の再度の住民投票

562 ~ 564 / 620ページ
良元村は二十六年三月二十八日、西宮市と合併するか、それに反対かについて住民投票をおこなうことになった。この時、良元村長岩田充二および良元村議会議長島川茂太郎連名のリーフレット「再び住民投票を行うにあたり村民の皆様に告ぐ」が、村民に配布された。
 この冒頭に「なぜ再び住民投票を行うか」と問いかけ、つぎのように説明している。(一) 前回の住民投票に基づき、宝塚市建設のため、本村より合併を申込んだが、宝塚町は之を拒絶した。(二) 鳴尾村が西宮市へ合併した事実に徴し、村民の意志が西宮市への合併に著しく傾いたこと。(三) 本村は最早財政上自立ができないので合併を急ぐ必要がある。(四) 本年度最終の県会が三月二十三日と定まっていたので、合併の手続を急ぐ必要がある。右の事情で不本意ながら急拠合併を決議したが、県会は、この辺の事情を考慮して三月末日に臨時県会を開くことになったので、再び住民投票をお願いすることとなった、と。
 また、「宝塚市制創設の実現は不可能である。宝塚町は合併の誠意なく、之を拒絶した。又人口三万位の市は、結局赤字財政に悩み、市民の負担を重くするのみであります。況んや市民の幸福を図る公共事業等は到底実施出来ません。本村よりはるかに有福な鳴尾村が、単独市制を捨てて西宮市へ合併した事実を見ても、事理極めて明白であります。合併問題は、感情や行きがかりを一掃し、村民の幸福を増進するか否かによって決すべきであります。良元村の財政危期打開策は西宮市と合併するより外に途はない」と述べている。

写真273 良元村から村民へ住民再投票についてのリーフレット
(西宮市役所所蔵)


 西宮市もまた、リーフレットを配った。「是非西宮市へ……合併して下さい。赤字になやむ村か、黒字財政の大都市か。良元村の経済白書によると、昭和二十四年度は赤字約一二三六万円、同二十五年度は赤字約一七一五万円の見込、同二十六年度は予算編成困難とのことです。従って、何等かの形で村民の負担が重くなるでしょう。西宮市と合併しても、税金は断じて高くなりません」というものであった。
 西宮市への合併賛否投票の結果は、投票者総数七七七七人(投票率六〇・四%)、賛成投票数三六三四票、反対投票数四〇五一票、無効投票数九二票であった。良元村民の宝塚市制への夢はまだ変わっていなかったのである。合併問題に関する村民の総意と村長岩田充二・村会議長島川茂太郎の意見とは正反対であることが明確となった。
 二十六年五月十八日の良元村議会では、最初に正副議長の選挙がおこなわれ、議長に深谷春一、副議長に中村吉広が選ばれた。この日の最後の議案は「村長退職につき同意を求める件」であった。書記が辞表を朗読した。ある議員は、「辞職には同意するが辞表の内容には同意できない。村民投票にまけたから辞職するのではなく、村民の不信任を受けたから辞職するということでなければならない」と述べ、また「村民投票を二回もやり村民を騒がせた責任は重い」ときびしい発言があって、辞職を認めた。

写真274 西宮市から良元村民への合併についてのリーフレット (西宮市役所所蔵)


 その後、二十六年七月十日岡田幾が無投票で良元村長になったが、彼女は全国で初めての女性村長であった。