昭和二十八年八月町村合併促進法が第一〇国会において制定され、十月一日施行された。
宝塚町議員は昭和二十六年に、重点的町施策として良元村との合併による市制施行を公約して当選した人々であり、両町村の合併に関してはじゅうぶん研究がなされていた。
良元村議会は、昭和二十七年初の村会で宝塚町との合併により市制を施行する件を審議したが、僅少差で否決された。二十八年町村合併促進法の公布とともに、宝塚町との合併問題が再燃した。両町村は二十九年二月四日町村長・助役・議会議員全員の合同会議を開き、町村合併促進協議会を結成し、二月十日・十一日・十五日に協議会を開催し、協議会の運営方針と新市建設計画を協議した。宝塚町協議会でおこなった投票では、合併賛成一九票、反対三票、無効一票であった。住民投票では賛成が三六二五票、反対五四三票、無効六一票で、八六%の賛成であった。そこで宝塚町議会は二十九年三月二日満場一致で合併を議決した。良元村でも二月二十七日に住民投票をした結果、賛成投票数三六二五票、反対投票数五四三票、無効投票数六一票で、八六%の賛成を得たので、二九年三月二日議会で投票した結果、賛成二五票、反対二票で、合併による市制実施を議決した。