長尾村は、周囲の合併が進むにつれてすこぶる微妙な立場に立った。二十九年三月二十六日、長尾村長と正副議長が合併に関する県の意向を聞くため県庁におもむいた。地方課長は県の第一次合併計画試案により、西谷村との合併を促した。しかし前述したように長尾村は伊丹市合併賛成派と宝塚合併派、さらに西谷合併派もあり、村内が対立紛糾していただけに、西谷村の動向は長尾村に微妙に影響する。三月二十八日西谷村役場で西谷村と長尾村との合併協議会が開かれた。西谷村は花屋敷・雲雀丘がその領内にあるので、隣接する川西町・宝塚町・長尾村から誘いがかかり、西谷村も微妙な立場にあった。西谷村では合併急進派が強く、宝塚や西宮、長尾へはたらきかけていた。二十八日の協議会で結論は出なかった。
奥川辺五カ村西谷・中谷・六瀬・東谷・多田の諸村のうち、多田・東谷両村は川西市に含まれたので、残る三カ村の合併問題はむつかしい問題となった。三十年二月になってその五日に、中谷村長および議長、六瀬村助役・議長が、地元県会議員田中詮徳宅を訪れ、両村が合併して猪名川町をつくりたいから協力してほしいと要請した