人口動態

575 ~ 576 / 620ページ
本市の人口増加の主要原因は〝社会増〟である。年間ほぼ五〇〇〇人の社会増がこの二〇年間につづいたのである。ところで人口急増期の、しかも大都市圏域にある都市の特徴として、転入転出が多いことをあげることができよう。毎年全人口の一割以上が移動している。三十五年から四十年ごろまでは年間約一万人(八〇〇〇人~一万二〇〇〇人)が転入し、年間約六〇〇〇人が転出している。四十年代になると、とくに四十五年以降では年間一万九〇〇〇人が転入し、一万四〇〇〇人が転出している。激しい移動の生じるのは転入者がしばらくしてまた転出するのか、それとも他に原因があるのか。ともあれ、新住民はなかなか定着しない。なお、県外からの転入者が県内よりやや上回り、転出者でも県外へ去る者がかなり多いことは注目される。このような移動する住民にとっては、宝塚は仮の宿であろうか。

写真283 宝塚の住宅密集地
上方へ延びている線路は阪急今津線,川は武庫川


 現在はその趨勢がやや停滞を示しているが、ともかく社会増は自然増を誘発する。昭和三十六年に対して四十七年の死亡者数は一・七倍であるが、出生者は二・六倍となっている。ちなみに死亡率は昭和三十五年五・九‰(人口一〇〇〇人に対する)四十八年には四・六‰、出生率は昭和三十五年一五・七‰、四十八年には二三・〇‰となっている。当然、自然増加率の上昇がみられる。
 自然増の傾向をみるため、二〇歳から四四歳までの女子一〇〇〇人あたりの五歳未満の子どもの割合をみると、三十年は四二七・六人が三十五年に三五九・三人と低下し、四十年は三九九・二人と上昇、四十五年には四二八・八人と回復している。したがって、今後、この年齢層の女子が増加すれば、ますます自然増のつづくことが予想される。山を崩し、谷を埋め、階段状に住宅地を造成していく余地がある限り、社会増がつづき、そして自然増が誘発されていくのであろうか。

写真284 中山台住宅地