最近のレジャー・ブームの花形であるゴルフ場と競馬場を両方ともかかえていることを市民はどう受けとめるであろうか。第三章で述べたように、宝塚ゴルフ場は大正十五年に開設され華やかな宝塚のイメージ形成の一端をになっている。ゴルフ場が所在するということは、それだけ自然環境にめぐまれているということである。しかし現在でも、ゴルフ人口が増加したとはいえ大衆スポーツとはいえず、広大な敷地を比較的少数の中高所得層のレジャーに供していることに問題があるという考え方もあろう。
ちなみにゴルフ場利用者には県税娯楽施設利用税が課せられるが、ゴルフ場所在市町村にはその税収入の一部が交付金として交付される。表116によれば昭和四十九年度現在市域内には一一カ所のゴルフ場が散在し、市外からの多数のゴルファーを含めて年間五〇万人が利用している。
阪神競馬場は、静かな生活環境を望む大多数の市民にとっては、開催日の交通混雑により、「めいわく施設」となった。昭和二十四年(一九四九)竣工時は、競馬場周辺は工場のほか空地が多かったが、人口急増とともに家屋も密集し、自動車時代到来とともに、開催日には都市計画道路宝塚仁川線・逆瀬川米谷線・県道西宮宝塚線(武庫川堤防道路)を中心に、競馬場周辺の道路はマヒ状態となり、周辺住宅はいろいろなめいわくを受けるにいたっている。
阪神競馬場は、日本中央競馬会の経営するところであるため、地方団体の収益事業と異なり、市財政にはそれほど寄与しない。しかし昭和四十七年度以来、周辺環境整備対策事業費にあてるため、同年度で約三億一〇〇〇万円、最近では五十年度約五億二〇〇〇万円の寄附金を中央競馬会から受入れている。
阪神競馬場の入場人員は三十九年度に四八万人であったものが、四十五年度には二〇〇万人をこえ、売得金も八七億円から七二六億円に達した(表117)。今後競馬場所在市町村への大幅な交付金の交付が望まれる。
以上の観光施設に集まる観光客が年間延一二〇〇万人と推定されるが、各対象とも強い個性をもち、客層はそれぞれ分化し、それぞれに長時間を必要とするため、一日のうちに回遊する可能性も乏しい。したがって「観光都市宝塚」を見にくるものではなく、個々の観光対象を別々に利用しているところに宝塚の観光業としての限界がある、といわれている。