宝塚市はかねてから「教育都市」といわれるように学校教育が充実していた。しかし人口急増は義務教育施設に負担をかけている。表122は昭和四十五年現在の状況である。これと昭和五十年度現在を比較してみよう。小学校数は二校、児童数は市立だけで四三二四人、教員数は一六四人、中学校生徒数は一五五人、教員数は六六人の増加である。
なお、木造老朽校舎の改築は昭和四〇年代から着々進められ、現在、校舎の鉄筋化率は小・中学校ともすでにおよそ九〇%の高水準を示している。
さらに教育内容の質的な向上をはかるため、教職員の資質の向上に努力し、かつては山口・岐阜・長野などの諸県へ年々数名ずつの教師を短期内地留学させる施策を講じた。四十六年度には教育研究所を設置して、専門領域や実技の研究・研修を盛んにし、四十八年度からは松江市や飯田市の先進校との姉妹提携により広域的な教育の交流をめざしている。