同和対策

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宝塚市は三カ所の同和地区をもっている。約二〇〇〇世帯、七二〇〇人が居住して、市内人口に対する同和地区人口の比率は、全国のそれよりはるかに高率である。
 宝塚市同和対策審議会答申によれば、その一つは、北に対象地区内家屋の棟とほぼ同じ高さの道路、南は河川の堤防、西は台地の斜面といった盆地的な形状で、周辺地域よりの雨水、汚水が集中し、排水処理が困難な地勢であり、地区内の道路は屈曲、迷路袋小路となり、進入路のない家屋の密集状況をつくり生活環境のいちじるしいゆがみをみせている。
 また他の地区では、家屋の接岸する川がいわゆる天井川であり、過去幾度かの決壊、溢水による被害のはなはだしい水害危険区域にあり、劣悪な地理的条件は孤立的な歴史的差別の原型をとどめている。さらに地区周辺が開発された結果、新住宅地区と接境して旧来の地区環境が、周辺住民の差別意識を助長し、差別事象を続発させている。地区内道路の大半は幅一メートル以下の曲折した車の進入不可能な道路である。
 もう一つの地区は、長尾山系の斜面を背負う低地に、阪急電車と国鉄福知山線にはさまれた狭い地域に密集して小部落として閉じこめられ、その中央部を道路が分断して、交通危機にさらされ、その上、近年の長尾山系台地の宅地開発に伴う土砂・雨水・汚水が地区内排水路に集中し、生活環境をますます悪化している。
 この三地区の状態は、差別の集積としての劣悪な環境が依然として存続し、対象地区に対する差別は、社会的意識として全市的に深く潜在している。地区住民はこのような差別の現状のなかで、近代社会が原理とする市民的権利を不当に侵害され、就職・企業・交際・結婚等の社会関係の発展が極度に阻害されてきた。
 市は「同和問題は、日本社会の歴史的発展の過程において形成された身分階層構造に基づく差別により、日本国民の一部の集団が経済的・社会的・文化的低位の状態におかれ、現代社会においても、なおいちじるしく基本的人権を侵害され、とくに近代社会の原理として何人にも保障されている市民的権利と自由を完全に保障されないという、もっとも深刻にして重大な社会問題である」(昭和四十年八月、同和対策審議会答申)という基本的認識のもとに、昭和四十四年制定の「同和対策事業特別措置法」の早急な具体化を志向して、昭和四十五年四月に同和対策室(後に同和対策部)を設け、かつ執行機関の付属機関として、「宝塚市同和対策審議会」を同年十一月に設置した。
 そして市は「同和問題は人類普遍の原理である人間の自由と平等に関する問題であり、日本国憲法によって保障された基本的人権にかかわる課題である。…したがって…その早急な解決こそ国の責務であり、同時に国民的課題である」という答申の主旨に則り、国・県の協力を得て、一〇カ年の時限法である「同和対策事業特別措置法」にもとづき同和対策事業を推進するとともに、児童・生徒の生き方に「人権尊重の精神」をうえつけ、小さな差別も許さないようにし、さらに市民の意識の中にある偏見と差別を掘り起こし、差別を許さない市民意識の培養を目的として同和教育の徹底を期している。
 すなわち同和対策は、同和教育の徹底によって基本的人権を尊重し、差別を許さない社会をつくるということを中心にしながら、同和地区改良事業と住宅改善によって生活環境をまず改善し、新卒者の就職や進路保障、一般就労の促進とあわせて地場産業を振興して生活の安定を図り、保健衛生対策と福祉施策によって健康を守るとともに、「差別と貧困」に苦しむ低所得者・老人・児童・母子家庭・心身障害者(児)の福祉をすすめている。

写真300 宝塚市役所