第三巻をふりかえって

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 明治初年にはじまる市史第三巻は、宝塚の変化という事実に即して、阪鶴鉄道が開通する明治三十年までを第一章とし、宝塚歌劇が最初にレビューで大成功を収める昭和二年までを第二章とした。この年は経済の世界的な大変動が起こる年である。第三章は第二次世界大戦までとしたが、この間に歌劇は黄金時代をきずいた。戦後から昭和二十九年に宝塚市が成立し、長尾・西谷両村を合併した三十年までを第四章とした。右の区分は大略であって、各章間にオーバー・ラップがあることはいうまでもない。
 右の各章では、人々の生産と生活およびむらの移り変わりを明らかにしようと心がけ、また資料に忠実であることにつとめたが、求める資料を発見できず、記述できない場合もあった。
 四つの章を通して、「市域の農業および農村の変化」を第一の主題とし、「交通革命による市街地の興亡」を第二の主題としたが、温泉と遊園地および劇場の歴史は宝塚に特徴的である。小浜の宿場が衰亡する過程を知ることができなかったことは残念であった。「都市と農村」を第三の主題としたが、これには都市が農村に与える影響と農村の都市化という二つの小主題を考えた。前者に関しては、神戸市の増大する人口が需要する飲料水の供給源として、波豆むらが水没させられたことが極めて印象的であり、後者に関しては、六甲山の砂防工事および武庫川や逆瀬川の改修と土地造成工事が、住宅都市「いまの宝塚」の基盤を整備したのであって忘れてはならないことである。これら四つのテーマをもつ市史第三巻という交響曲を作ったのであるが、五線紙が足りなくて割愛したところもある。
 別章では、宝塚市となってからの急激な変化と、「いまの宝塚」の有する問題を指摘した。数十年後に再び市史が書かれるとすれば、それはこれらの問題の解決の歴史となるであろう。
 宝塚は今後ますます住宅・レクリエーション都市としての性質を強めるであろう。それは必然であるかもしれないが、しかし経済の高度成長の時代は終わったのである。今後の新しい発想による市民の行為の記録も残されることを期待しよう。