紙本着色 掛幅
一四九・七×三九・八
この図は鉄斎が大正十三年一月に光浄法主に贈ったものである。鉄斎の画は本来が教訓を目的としたものであるから、それぞれ贈る人によって、その画題も異なり、光浄法主に贈った画は仏教に関係のある図が多いことも当然といえる。
「鉄斎研究」第六号に掲戴された小高根太郎氏の解説を借りて大略をしるすと、古仏とは悟りを開いた人、高僧の尊称、龕(がん)は厨子(ずし)あるいは塔の下のへやのことをいう。図には釈迦、維摩(ゆいま)、観音がかかれている。画の上に書きつけてある賛は、明の高僧雲栖(うんせい)大師の随筆「竹窓二筆」の「好古」の章より引用したもので、大意は数人の古物愛好家が集って、それぞれ自慢の古物を出品してコンクールを開いた。数百年前の品物を出すものがあると、みんな目を見合せて笑い、それより古いずっと昔の古物が出品されると、たがいにもっと古代の品物が手に入らぬことを残念がった。ところがそのうちの一人が「諸君の持っているものは、なるほど古いものだが、太古のものではない。もちろん太古の太古のものではない」と言った。みなのものが「日月や天地が太古のものか」と聞くと、「天地もまだ古くない」「それでは虚空(こくう)が太古のものか」と聞くと「虚空もまだ古くない。私のたくわえているものは、日月がまだ生ぜず、天地もまだ成立しない空却(くうごう)以前のもの(不生不滅の仏心)である。諸君は一つの爐(ろ)や、瓶(へい)や、書画を買うことに大金を賭(か)けて、もっとも古いもの(仏心)を大切にすることを知らないのは心に迷いがあるからだよ」と言った。
箱書には「古仏龕図」裏書には「余甞観清人有此図并(読)雲栖大師好古説 有所感而画之 以贈清澄寺光浄尊師 乞正 大正甲子一月 八十有九叟鉄斎百錬」―私はかつて清国の人が描いたこの図を見た。又雲栖大師の好古の章を読み感ずる所があったので之を描き清澄寺光浄尊師に贈って正を乞う―とあり、師に教を仰いでいる。
鉄斎美術館長 富岡益太郎