飛騨は日本列島のほぼ中央に位置し、古くから「飛騨国(ひだのくに)」として大きなまとまりを持ってきた。東西の国境は3,000メートル級の山岳尾根で、容易に越せない。また南北方向にも険しい山地が連なって通行は厳しい。東西南北に越しにくい自然地形の障壁は、飛騨国に独得の国づくりと統治の歴史を与えることになった。
河川は、飛騨の北半分が北の方向へ流れて神通川に、南半分は南へ流れて木曽川へと合流する。同一国でありながら、水の流れる方向が反対になっていることに、他所の人は違和感を覚えるという。城下町高山の宮川は北へと流れている。
飛騨国は平地が少なく、現在の高山市の森林率(高さ1㍍以上の樹木を含む森林)は92.5%である。まとまった大きな平地面積を持つのは高山盆地、国府・古川盆地で、近世以降においてはこの2つの盆地を中心に領国支配の歴史が展開した。3,000メートル級の山脈に囲まれた国の範囲に、山地と河川、谷が網の目のように広がり、それらがだんだん1つにまとまり、北へ流れる宮川、南へ流れる飛騨川(益田川)になっている。これらの自然地形と共に歩んだ飛騨国の歴史を考察するには、中心拠点となった城下町高山の絵図・地図が欠かせない。また、城下町絵図等に記載してある東西南北の街道には、「越中方面へ」「尾張へ」等と行先が記入されているので注視されたい。