2 初代高山藩主 金森長近(かなもりながちか)

 大永4年(1524)源姓の土岐氏族として誕生。初名は可近。17歳より織田信長に仕え、戦功により信長の一字を賜り、長近と改名。信長没後、秀吉に仕えた。天正13年(1585)秀吉より三木自綱征伐の命を受け飛騨を平定。翌年、飛騨3万8千余石を与えられ高山城築城を計画。高山城は天正16年(1588)から16年かけて、慶長8年(1603)に完成した。
 高山城築城にあたり町民を新城の麓に移し、南北の「筋」を中心とした商人町を形成し、城郭、武家屋敷群、東山寺院群から成る城下町を形成。商人町は古い町並みを今にとどめている、高山市三町及び高山市下二之町大新町伝統的建造物群保存地区である。
 慶長5年(1600)関ヶ原合戦では家康方につき戦功を上げ、美濃国上有知1万8千石、河内国金田(かねた)3千石が加増された。同11年(1606)上有知(こうずち)小倉山に小倉山城を築き自らの居城とし、高山城を養子可重に託した。
 武将として活躍したのみでなく、治水、街道の整備、産業の開発振興に尽くした。また、古田織部、千利休の門下となり茶人としても名を馳せ、風流人でもあった。慶長13年(1608)京都にて没す、享年85歳。