美濃の人、長屋将監景重(しょうげんかげしげ)の子として永禄元年(1558)誕生。幼名は喜三丸(きぞうまる)。
幼少より長近に養われ、後に養子となった。天正13年(1585)の三木氏攻略では長近の副将として戦い、勝利を収めた。長近同様、信長、秀吉、家康に仕えた。戦場で数々の功績をあげ、関ヶ原合戦では父長近と共に奮戦している。
慶長13年(1608)長近の死により家督を継ぎ、飛騨国を治めることになった。同19年(1614)、元和元年(1615)の大阪城攻略の際、多くの敵の首をとったと史書や「大坂の役図」に伝えられる。
治政においても養父の志をつぎ、桜山八幡宮を再興するなど、高山の城下町発展に力を注いだ。また茶道においては千利休の子道安に師事。戦陣中でも茶をたしなむという一流の武家茶人で、徳川2代将軍秀忠の師範役も務めた。元和元年(1615)閏6月3日伏見にて没す、享年58歳。