可重の3男として慶長元年(1596)誕生。幼少の頃から駿府の徳川家康の近辺に従事。同19年(1614)大坂冬の陣に父と共に従軍し、本陣で家康の側近として仕えた。
元和元年(1615)の夏の陣にも父と共に従軍。父の死去に伴い、家康の命により家督を継ぎ、城主となった。将軍家の信も厚く、元和年間には家康六男の越後高田城主松平忠輝が罪を受けた時、これを預かるということもあった。寛永9年(1632)東山に宗猷寺を創建。さらに飛騨天満宮の再興や東照宮などを建立した。重頼は、新田開発や鉱山発掘に力を注ぐ他、高山の窯業の基となるべく小糸坂に陶窯を築き、焼出させたと伝わる。
寛永18年(1641)の飢饉の際、家宝の茶器を譲り、その代金を米に換えて国中の人々を救済したという善政ぶりは有名である。風流を好む重頼は、茶道ばかりか和歌も嗜んだといわれている。慶安3年(1650)閏10月7日病にて死去、享年55歳。