寛延3年(1750)~宝暦6年(1756)
盛喬は前代官にならい林政に力を注ぎ、北方材伐出しを開始した。まずは山廻方役人に詳しく報告をさせ、山林の状態を知るとともに、山林の保護と育成に細かい注意を与えている。その人柄については、囲碁は三段の腕前であり、盛喬を支える元締の井田嘉藤次は吟味並びに諸御用向など、古今の達人であった。また俳諧においては江戸宗瑞の高弟で風菊房至芳といい、杉雪桜とも号し俳句をよくするなど、器量の勝れた手代が多かったといわれている。
9 第九代 柴村籐右衛門盛喬(もりたか) 6年