寛政12年(1800)~享和3年(1803)
照方の在任は3年半の短い期間であったが、賢夫人として名高いゑち夫人や、元締手代で詩人としても有名な館雄次郎(柳湾)などの協力を得て、飛騨国内の新田開発、養蚕などを奨励し、赤田臥牛(あかだがぎゅう)の学問を広めるための基礎づくりに、多くの人々と、臥牛の講義にのぞんだ。
また助郷に苦しむ領内の農民の負担を軽くすると共に、宿駅問屋における無理解な人夫徴発を禁止し、農民に縄をなわせ江戸で売り、その収入を領民の生活向上の費用とする等、善政を施した。
15 第十五代 小出大助照方(てるみち) 3年