天保10年(1839)~弘化2年(1845)
天保飢饉の後に郡代となった友直は、倹約の励行、博打の禁止、また贈答や貸借を禁止するなどの告諭を村々へ出した。
天保11年(1840)には各地に郷倉(ごうぐら)を建て、百石五粒法という備荒貯蓄制度を施行。物価政策については、天保9年以来、米価が下降気味なのに対して諸物価が上がるのは法に合わないとし、同11年、諸物価引下げを行なわせている。一方では、消防出初式や渋草焼を起こした人としても知られている。
20 第二十代 豊田藤之進友直(ともなお) 6年