22 第二十二代 福王三郎兵衛忠篤(ただあつ) 6年

      嘉永5年(1852)~安政5年(1858) 
 着任早々、備荒貯穀にかかる問題とその事情を郡中惣代名主から訴えられたので、現在の貯穀量をみて凶年にあっても対処できうると判断し、向こう3カ年間、徴収を見合わせることにした。
 また養蚕業がより発展するよう国内において蚕種をつくり、品種の統一を図るよう指示し、物価の安定にも苦心をこらし、越中塩、薪炭、下肥、榾(ほた)、葺榑(ふきくれ)の値段の他、高山町の女髪結(かみゆい)などの賃銭を定めて、諸色(しょしき)売買の利益を一割に制限した。