元治元年(1864)~慶応2年(1866)
元治元年(1864)、京都に禁門の変があり、知らせを受けた元暱は一早く関係者が飛騨へ入らぬよう、諸口留番所の警備を固めた。同時に万一のことを考え、高山町年寄や高山町、郡中の有力者20人には非常時に限って苗字帯刀を許すと共に、その家の使用人を連れて高山の警備にあたらせるようにした。
慶応元年(1865)、幕府が諸藩に長州攻めを命じた際には、軍資金を募ってそれに応えた。献金は19名から6千760両が寄せられた。
24 第二十四代 高柳小三郎元暱(もとちか) 2年