25 第二十五代 新見内膳正功(まさかつ) 2年

      慶応2年(1866)~慶応4年(1868) 
 正功は飛騨国代官・郡代の25代の内、最後の郡代となった人であるが、「高山陣屋を捨て江戸へ向け脱走した」といわれる、いわば悲運の人でもあった。
 飛騨を去るにあたって、その俸米のうち300俵を高山町民へ、100俵を古川町民へ施与(せよ)し、在庫の3月出し予定の人別米を町会所へ渡したといわれている。