慶応3年(1867) | |
| 10月3日 | 大政奉還建白書を山内豊信が出す。 |
| 12月9日 | 王政復古の大号令。 |
慶応4年(1868) | |
| 1月 | 鳥羽・伏見の戦い。(戊辰戟争の始まり) |
| 1月10日 | 竹沢、美濃と飛騨統治の建白について禁中に呼ばれて命を受ける。 |
| 1月11日 | 竹沢隊京都出発。 |
| 1月21日 | 東山道鎮撫総督の率いる官軍、京都出発。 |
| 1月22日 | 竹沢寛三郎、先発隊として笠松陣屋に入る。 |
| 1月25日 | 新見郡代、高山陣屋から逃亡。 |
| 1月28日 | 郡上藩の軍勢約300人高山到着。 |
| 2月4日 | 竹沢寛三郎、高山陣屋へ入る。尾張藩服部哲太郎は雲龍寺へ、郡上藩鈴木家老は照蓮寺(今の別院)へ入る。 |
| 2月7日 | 竹沢は高山陣屋の門前に「天朝御用所」の高札を揚げる。鈴木家老は竹沢の単独行動に抗議する。 |
| 2月13日 | 高山御用所より東山道鎮撫総督府の沙汰書写5通を村々へ触れ渡した。新政府の令制が公式に飛騨国で公布されたのはこれが始めて。 |
| 2月16日 | 総督府は、竹沢を飛騨国取締に任ずる。 |
| 3月3日 | 梅村、高山へ到着。 |
| 3月13日 | 梅村は高山陣屋へ入り、竹沢との引き継ぎを完了。同日、竹沢は高山を去る。 |
| 4月18日 | 梅村は笠松裁判所、内国事務局権判事に任ぜられ、旧高山陣屋管内を治めた。 |
| 5月23日 | 飛騨は飛騨県と名称を変えた。 |
| 6月2日 | 飛騨県を高山県と改称、梅村速水が高山県知事に任ぜられる。 |
| 7月1日 | 富国の基礎を定めるため商法局を設け、屋貝権四郎を局長とした。 |
| 9月8日 | 慶応を明治に改元。 |
| 10月 | 高山県に学校を新築(浦町)。 |
| 11月11日 | 七日町、桐生町の梅村堤防落成。 |
| 12月27日 | 小坂、阿多野郷民、山方米嘆願。 |
明治2年(1869) | |
| 1月14日 | 川上斎右衛門ほか14人、高山県へ献金する。小森秀造2千両、他は100両ずつ。 |
| 1月23日 | 町会所を当分高山県の集議館に使用。 |
| 1月26日 | 梅村、京都における反梅村派の活動を制圧するため上洛する。 |
| 2月27日 | 刑法官、梅村の帰県を禁ずる。 |
| 2月29日 | 梅村騒動起きる。 |
| 3月1日 | 騒動拡大 |
| 3月6日 | 富田礼彦(高山県判事)割腹自殺を図るが未遂に終わる。 |
| 3月10日 | 萩原で武力衝突、梅村負傷する。 |
| 3月13日 | 刑法官監察司知事宮原大輔、高山に着く。 |
| 3月14日 | 梅村速水、知事を免ぜられる。 |
| 4月10日 | 梅村に代わって宮原積が県知事となった。 |
| 5月 | 五稜郭の戦終わり戊辰戦争終結。 |
明治3年(1870) | |
| 7月 | 産物会所設置。 |
| 10月27日 | 梅村速水獄死する。 |
明治4年(1871) | |
| 4月 | 戸籍法公布 |
| 8月2日 | 飛騨を19区に分轄。 |
| 11月20日 | 府県廃合により高山県を廃し、飛騨は筑摩県の一部となる。陣屋は「筑摩県高山出張所」となった。 |
| | 高木大参事は筑摩県権参事に昇任、十等出仕飯田恒徽、大沢正交等属官を配置した。 |
| 11月29日 | 筑摩県管轄となったことを告示する。 |
明治5年(1872) | |
| 1月3日 | 宮原、高山を去る。 |
| 2月17日 | 筑摩県出張所が置かれる。 |
| 7月 | 郵便施行。 |
| 8月 | 学制を制定。 |
| 12月3日 | 新暦に切り替え、本日を1月1日と定める。 |
明治6年(1873) | |
| 7月 | 地租改正条例交付。 |
| 12月2日 | 煥章学校、一之町勝久寺内に設立。この日、開校式を行う。翌日照蓮寺に移す。 |
明治7年(1874) | |
| 6月12日 | 筑摩県高山出張所前に、新聞縦覧所を設ける。 |
明治8年(1875) | |
| 1月 | 新暦はなかなか徹底しない。 |
| 1月31日 | 町村制により高山町、大名田村できる。 |
| 4月5日 | 警察出張所、鍛冶橋詰にできる。 |
| 4月11日 | 開産社開業 |
| 5月1日 | 高山町大火、高山別院類焼。煥章学校は素玄寺へ移る。 |
明治9年(1876) | |
| 8月21日 | 筑摩県が廃止され、飛騨の三郡は岐阜県に合併された。陣屋は「岐阜県飛騨支庁舎」となった。 |
| 9月30日 | 岐阜県高山支庁を高山に置き、三郡を管轄する。 |
| 11月24日 | 煥章学校上棟式、25日開業式。 |
明治10年(1877) | |
| 2月 | 西南戦争起こる。 |
明治11年(1878) | |
| 7月22日 | 「郡区町村編成法」公布。 |
明治12年(1879) | |
| 2月 | 郡制施行。陣屋は飛騨三郡の「三郡役所庁舎」となる。 |
| 4月28日 | 町村会(町村の議会)規則できる。町村議会の始まり。 |
| 5月20日 | 石川勘蔵、高山町戸長を命ぜられる。 |
明治13年(1880) | |
| 2月15日 | 岐阜県高山支庁を廃し、郡役所を高山町に置いた。 |
明治14年(1881) | |
| 9月29日 | 飛騨国町村連合会設立。 |
| | 山岳水場論争始まる。 |
明治16年(1883) | |
| 10月20日 | 警察署庁舎、八軒町大野郡役所の南隣りに新築落成。 |
明治21年(1888) | |
| 2月 | 県議会議員選挙で山岳水場論争の治水派やぶれる。 |
| 4月13日 | 三星織工場、三星製糸場の上棟式、開業式を行なう。女工100人、60台の糸くり機を備えた。 |
明治22年(1889) | |
| 7月1日 | 市町村制が施行され、町村の分合により高山町、船津町、下呂町など3町、31ヵ村となる。清見村より分村して上枝村できる。 |
| 10月1日 | 高山町役場開場 |
明治23年(1890) | |
| | 国会の開設、郡制始まる。 |
明治24年(1891) | |
| 3月24日 | 高山監獄庁舎監房新築落成。 |
明治25年(1892) | |
| 5月19日 | 大名田村から9地域の大字を分割し、大八賀村とした。また、大字上岡本ほか5地域の大字を分割して灘村を置いた。 |
| 11月23日 | 大野郡灘村役場の開庁式を行なう。 |
明治27年(1894) | |
| 11月3日 | 高山町役場ほぼ完成。 |
明治28年(1895) | |
| 4月17日 | 日清戦争終結、下関条約締結。 |
| 11月3日 | 高山町役場新築落成式 |
明治30年(1897) | |
| 4月1日 | 陣屋は大野郡役所となる。 |
明治37年(1904) | |
| 2月6日 | 日露戦争始まる。 |
| 3月1日 | 永田吉右衛門衆議院議員に当選。 |
| 3月27日 | 広瀬中佐戦死。 |
| 11月8日 | 高山で初めて電灯がつく。 |
明治38年(1905) | |
| 9月5日 | ポーツマス条約締結、日露戦争終結。 |
明治39年(1906) | |
| 6月26日 | 乃木大将、高山へ来る。 |
明治42年(1909) | |
| 2月11日 | 憲法発布20年記念祝賀式(高山町役場) |
明治44年(1911) | |
| | 市制・町村制の改正、町村の自治に制限を加えるようになる。 |
明治45年(1912) | |
| 3月13日 | 飛騨鉄道案衆議院を通過。 |