[大正]

大正元年(1912)
2月濃飛自動車会社、岐阜、小坂間に赤塗りの乗合自動車運行。
8月10日郵便局、川原町から上二之町に新築移転。
電話交換業務開始。
大正2年(1913)
岐阜―高山間、濃飛自動車運行開始。全行程13時間。
大正3年(1914)
飛騨に初めて自動車が購入される。
大正5年(1916)
12月鉄道建設促進運動始まる。
大正6年(1917)
12月武藤嘉門、長谷川藤蔵らが呼びかけ、「飛騨鉄道速成同盟会」を組織。
大正7年(1918)
2月代議士永田吉右衛門急逝。
2月9日飛騨鉄道敷設法案衆議院通過。
4月高山線の内、岐阜―各務原間の測量始める。
大正8年(1919)
5月21日高山線・岐阜―各務原間の工事着工。
大正9年(1920)
戦後恐慌始まる。
中央木工(株)創立(現在の飛騨産業(株))。
11月1日高山線・岐阜―各務原間開通。
大正10年(1921)
高山―船津、濃飛乗合自動車運行開始。
4月飛越線・富山―八尾間測量始める。
11月高山線・各務原―美濃太田間開通。
大正12年(1923)
9月1日関東大震災。
10月10日大名田村は町制をしき、大名田町となる。
大正13年(1924)
11月7日松本市の長谷川清澄飛行士が北アルプスを越えて上野平に着陸。
大正15年(1926)
10月1日灘村、高山町に合併。