[昭和]

昭和元年(1926)
12月25日大正から昭和へ改元。
昭和2年(1927)
3月金融恐慌始まる。
昭和4年(1929)
10月経済恐慌、アメリカで始まる。
昭和6年(1931)
9月18日満洲事変起こる。
昭和8年(1933)
1月22日宇野大名田町長急逝。
昭和9年(1934)
1月宮峠トンネル開通。
10月25日高山駅開業、開通祝賀式。
昭和10年(1935)
10月上仲鈴子、上野平に着陸。
昭和11年(1936)
2月26日2・26事件
9月7日高山町長、大名田町長代理の連名で市制施行の上申書を内務大臣に提出。
11月1日大名田町と合併して市制施行。
昭和12年(1937)
4月10日上野平開墾起工式。
6月5日チフス対策会議。
7月7日盧溝橋事件起きる。日中戦争の始まり。
7月15日高山駅に登山案内所を設ける。
7月27日動員令、召集が始まる。
10月21日国鉄の「旅行暦」に高山が掲載。
昭和13年(1938)
4月1日国家総動員法公布。
10月5日安房峠開通式。
12月14日城山公園下の畑地に二之丸城壁発見。
昭和14年(1939)
10月25日高山本線全通5周年記念式。
昭和15年(1940)
10月大政翼賛会、第2次近衛内閣が新体制運動推進の名のもとに設立。
昭和16年(1941)
11月13日号砲供出。城山公園の号砲平と二之丸跡にあった2門の大砲を供出した。
12月8日日本軍真珠湾攻撃。米軍と英国に宣戦。
昭和17年(1942)
11月20日梵鐘供出供養、別院本堂前広場に市内各寺院の供出梵鐘を集めた。
昭和18年(1943)
2月18日高山市と上枝村の議会で合併を決定。
4月1日上枝村と合併。
4月11日上枝村合併祝賀式。城山グランドで合併を祝し祝賀式が行なわれた。
昭和19年(1944)
2月1日高山航空工業会社設立、飛行機部品を製造。
9月30日マリアナ群島のテニアン島で郷土部隊玉砕。
昭和20年(1945)
1月日本本土に空襲始まる。
8月2日高山に爆撃予告ビラ投下。
8月6日広島に原爆投下。
8月9日ポツダム宣言受諾。
8月15日家屋強制疎開終了(八軒町筋と安川通り)
8月15日連合国に無条件降伏。正午から玉音放送。
11月1日進駐軍、正式に高山へ入る。
昭和21年(1946)
1月7日進駐軍来高。3日間にわたり軍需品並びに施設の破壊状況に手落ちがないか視察。
2月公職追放令。
11月3日新憲法公布記念の祝賀行事。
昭和22年(1947)
4月1日新市長に日下部禮一、岐阜県知事に武藤嘉門当選。
11月2日天皇陛下、高山へ御巡幸。
昭和23年(1948)
7月20日乗鞍登山バス試運転。
7月ソ連からの引揚げ者帰る。
昭和25年(1950)
3月上水道工事に着工(3年間で完成)。
4月上二之町歩広め。
7月25日高山パラダイスと乗鞍まつり。
12月農地改革完了。
昭和26年(1951)
6月伝染病大流行。4月から11月までに赤痢、疫痢、日本脳炎とジフテリアに、158人がかかる。
9月9日サンフランシスコ講和会議。平和条約調印。日米安全保障条約調印。
昭和28年(1953)
11月3日郷土館と図書館の開館式。上一之町の旧永田邸を改装して両館を併設。
昭和29年(1954)
9月下林と山田地区で区画整理事業が完工した。
昭和30年(1955)
3月15日文化財保護条例制定施行。
4月1日大八賀村と合併。
4月15日山王祭をテレビ放送、花森安治来高。
6月18日城山一帯を風致地区に指定。
12月28日別院焼失。上棟式を終わったばかりの高山別院が全焼した。
昭和31年(1956)
6月財政再建団体の適用受ける。(6年間)。
昭和33年(1958)
2月25日準急ひだ号公式試運転。
7月25日集中豪雨で大八地区に大被害。
10月中野照蓮寺移築始まる。
昭和34年(1959)
4月11日馬力のあるD51型機関車運転開始。
9月伊勢湾台風。
昭和35年(1960)
6月9日高山祭屋台が重要民俗資料(現在は重要有形民俗文化財)に指定。10月15日には、高山屋台保存会を結成した。
昭和37年(1962)
3月7日テレビで高山を紹介。
3月28日映画「キューポラのある街」試写会。
6月17日街を美しくする運動を展開。
昭和38年(1963)
「暮しの手帖」に高山が紹介される。
昭和39年(1964)
5月3日高山子ども会が稚魚の放流式。
9月国体を前に、街の美化運動推進。
昭和40年(1965)
10月21日国体炬火採火、乗鞍山頂コロナ観測所で採火された。
10月24日岐阜国体始まる。(6日間)
昭和41年(1966)
2月恵比須台組町並保存会設立。
昭和43年(1968)
恵比須台組で町並の電柱を撤去し、軒裏配線とする。(48年には竜神台組も電柱を撤去。)
1月観光映画「飛騨の高山」が、全日本観光映画コンクール16ミリの部で最優秀賞。
9月13日飛騨川事故の捜索に、高山消防団も出動。
10月28日市庁舎が旧東小学校へ移転。
11月22日国道41号線が、全線完工。
昭和44年(1969)
10月1日蒸気機関車のさよなら運転。
昭和45年(1970)
6月4日日立製作所高山工場竣工。
11月三福寺町にごみ焼却場を新設。
昭和46年(1971)
7月1日飛騨の里オープン。
昭和47年(1972)
4月下水道事業に着手。
12月1日国道41号線バイパス開通。
昭和48年(1973)
3月3日第2次水道拡張工事完成式。
6月30日乗鞍スカイライン開通。
昭和49年(1974)
2月15日市街地景観保存区域の指定。
11月蔬菜出荷6億円を突破。ホウレン草の予冷庫が完成した。
昭和50年(1975)
3月22日公設地方卸売市場開く。
11月野菜の出荷伸びる。飛騨高冷地野菜の名で関西市場で好評を博す。
昭和51年(1976)
8月7日民俗村の入場者、400万人突破。
10月31日上二之町に図書館が完成。昭和町2丁目から移転。
昭和52年(1977)
1月昭和51年中の観光客が、200万人を突破。
12月高山のトマトが京阪神市場のトップ産地になる。
昭和53年(1978)
5月16日新島小学校が修学旅行で来高。三枝小学校と52年に姉妹校になった。
9月18日平湯トンネル開通。一般国道の標高では日本一、長さでは県下一。
12月24日郷土館開館式(昭和54年1月5日一般公開)
昭和54年(1979)
2月3日上二之町、上三之町ほかが国の重要伝統的建造物群保存地区に選定。
昭和55年(1980)
3月伝統的文化都市環境保存地区整備計画「高山」発刊。「まちかどの整備」提言。
昭和56年(1981)
1月測候所開設以来の豪雪、積雪累計7メートルを超えた。
8月22日金森公顕彰会が発足。
昭和57年(1982)
11月19日苔川を美しくする会発足。
昭和58年(1983)
5月28日安房トンネル調査坑工事、平湯側でも着手。
5月日本海中部地震(死者・行方不明102人)
7月15日高山線立体交差北跨線橋が完成。
11月18日〝潤いのあるまちづくり″優良地方公共団体として、自治大臣表彰受賞。
昭和59年(1984)
8月5日河川等一斉早朝清掃始まる。
昭和61年(1986)
4月1日市政記念館(旧高山町役場)オープン。
昭和62年(1987)
2月10日スパイクタイヤ自粛要綱制定。
6月高山城本丸調査の報告(名工大内藤昌教授)。
昭和63年(1988)
5月6日‘88飛騨・高山博会場の起工式。