掲載している国絵図の注目すべきところを次にあげる。

○金森時代の国絵図「第7~9図飛騨国絵図(『絵図』)」は、東京の国立公文書館に所蔵され、今まで知られていなかった正保(しょうほ)年代の絵図である。街道、在所、河川の状況が詳しく知られ、情報量が多い。
○江戸幕府の国絵図作製の中で作製された天保年代の飛騨国絵図(第11図・『絵図』)も国立公文書館に所蔵され、街道、在所、河川、隣国への里程などの情報量が多く、現在も存続する各集落の成立、発達をした過程を知ることができる重要な史料である。
○伊能忠敬が飛騨へ測量に入国したのは文化11年(1814)で、伊能大図により伊能測量隊の飛騨国測量の旅程がわかる(第22~26図・『絵図』)。また、「伊能忠敬の高山町測量図(第28図・『絵図』)」は、伊能隊が高山の市街地を測量した成果図で、文化11年当時の高山の様子がわかる。幕府の地図作成は海岸沿いのみならず、山地も計測して日本地図全体の精度を上げていた。
○「袖中旅日記(第39、40図・『絵図』)」は道中記で、高山の豪商打保屋彦六が江戸から日光まで、10日間にわたり旅をしたときの記録である。
また、「(三十)西国道中記(『解説』)」は大坂屋治助ほか3名が寛政12年(1800)に128日に及ぶ長崎までの大旅行をした時の記録である。当時における西日本各地の宿所、名所を知ることができ、長崎の唐人屋敷で異国人カピタンに対面したりしている。
○明治時代から昭和初期の地図を多く掲載したが、この地図により飛騨地域の3郡の変遷、市町村合併、編入の経緯情報を得ることができる。
○岐阜県が誕生して間もなく作られたのが第71図(『絵図』)で、当時の重要な交通路として尾張、越中街道が二重線で記される。
○第77図(『絵図』)は、大正2年における飛騨地域3郡と武儀郡、郡上郡の、主要なる「大字」間の交通地図である。里、町の単位の距離が記入されており、当時の主要在所が分かる。
○第95図(『絵図』)は、昭和40年に開催された第20回国民体育大会の山岳部門会場地図である。上宝地域の山岳登山道が分かる。
○第97、98、100図-1、2(『絵図』)は市町村合併の経緯が分かる資料で、江戸時代の飛騨国の各村々が現在の市、村に変遷していった過程を知ることができる。
○第99図(『絵図』)は、平成17年に高山市と9町村が合併した翌年に、作成された新高山市の管内地図である。