国絵図の様式

 江戸時代の国絵図は、①時代背景、②絵図の作成意図、③作成を指示した組織の規模などによってそれぞれ特色を持ち合わせる。この国絵図に描かれた景観は抽象的な表現にとどめ、作図は一定の約束によって作成された。定められた主な決まりは次の内容である。
 ①方位を表わす ②縮尺を統一する ③口留番所などの記号を使用する
 近世の地図は絵師によって描かれているが、等高線やケバの表現技法がなかった時代なので、鳥瞰図的手法によって地形表現がされている。不必要なものを省略し重要なものを強調しているので、絞り込まれた情報を得やすいということもある。また景観を図に表わし、ある程度写実的に描いたものは「図絵」の方に分類される。
 明治2年、新政府は廃藩置県や地租改正などに伴い、村絵図や地引絵図など、地方の地図作成を各府県に命じている。明治4年には地図調査が始まりやがて「陸地測量部」の体制が整い、三角測量による全国地図作成へと発展する。それまでは、当面、伊能忠敬らによる江戸時代の日本測量図が重宝されていた。
○和紙
 江戸時代の和紙寸法は、紙漉きの簀や桁の大きさで決まり、様々であった。美濃紙は徳川御三家の専用紙とされていて、寸法は394×273ミリメートルである。しかし公用図は大型の絵図が多く、大判の和紙を使ったり、貼り合わせて仕立てられている。掲載した絵図の中には、大きな寸法のものがある。
○数え方
 絵図の枚数の数え方は、大図幅は「鋪(ほ、しき)」、「張」、「折」などの単位が付けられている。江戸幕府編纂の国絵図は、和紙の継ぎ合わせの意味を持つ「鋪」とされる。
 また、西洋では地図を壁にかけて下から見上げるのに対して、日本では畳の上に広げてまわりから見るために、四方対視様式である。人が移動して、または小さい絵図なら回して他方向からも見て文字が読めるようにしてある。しかし、四方対視であっても主軸方向はあり、奥書、凡例の文字方向からもその絵図の主軸方向がわかる。